#2 青い雛鳥

1話「わたくし、ダンケルフェルガーが怖いのです。」より前のお話。
ネガキャン本格始動する理由がここに……!

ダンケルフェルガーと王族は本気でいい加減にして欲しい。

それがループしているローゼマインとフェルディナンド、二人の眷属達の本心からの気持ちで偽らざる本音だった。
エーレンフェスト内は何とかなった。というか、ループメンバーを中心に無理やり何とかし続けている。
初期の頃はエーレンフェストで過ごす以上、できる限りアーデルベルトとの最後の約束を守りたいというフェルディナンドを尊重し、ジルヴェスターをアウブとして支える方向で進めていた。しかし、その繰り返しに最初にブチ切れて方向転換したのがフェルディナンドだった。
傀儡としての英才教育を受けたジルヴェスターは自分で考えることができず、情報を集めることもなく、また、情報を求めても周囲はヴェローニカに都合の良い報告しかしないため、実にどうしようもない。ならばとフェルディナンドがジルヴェスターの傀儡師くぐつしとなったが、決断してはいけない場面に限って「アウブは私だ!」と独断専行をしでかす。
それが多くの場合で王族とダンケルフェルガー絡みで、必ずと言っていいほどローゼマインを売り渡す決定だ。
彼女が領内に残るとヴィルフリートがアウブになれないというのが傀儡氏かいらいしの主張である。そう焚きつけるのがフロレンツィアであり、そして、彼女を傀儡にしているレーベレヒトだ。
その度にダンケルフェルガーを叩きのめしたり叩き潰したり磨り潰したり、ループメンバー揃い踏みで中央に乗り込んでローゼマインがツェントになったりフェルディナンドがツェントになったりダブルツェントになったりと面倒なことしか無く、忍耐で形作られているようなフェルディナンドがブチ切れたのだ。
それ以降はヴェローニカ絡みの不正の証拠は全てボニファティウスに持ち込み、エーレンフェストは速やかに立て直されるようになった。
圧倒的な武力とカリスマを誇り、ライゼガング系と中立派から熱い支持を受けているボニファティウスが立ち上がれば、それまでの苦労は何だったのかというほど簡単に事が進んだ。魔王のはずのフェルディナンドが少し落ち込んだが、それはローゼマインが何とかした。悪辣魔王が耳を赤くしてぶすくれて愛しの全ての女神のもちふわほっぺを抓っていたので、よしよしされて照れているのだろうと眷属達は生温く見守るのみである。

さて今回。
ローゼマインはアウブとなったボニファティウスと既に高みにいる第一夫人の娘として洗礼式を上げて、特に問題もなく貴族院二年生となった。
ヴィルフリートは適当な上級貴族を親として洗礼式を上げ、魔力量と教育状況に問題がないからとボニファティウスと養子縁組して領主候補生となり、貴族院に入学した。そしていつものように問題行動を繰り広げるようになる。
フェルディナンドとボニファティウスから、アウブを目指して努力するのは自由だが罪人の子が次期アウブの指名を受けるのは容易ではない、ほぼ不可能であるから心するようにと心胆を寒からしめられているのだが、ジルヴェスター似でヴェローニカから「貴方がアウブになるのですよ」と洗脳されているヴィルフリートは全く懲りないし、自儘に振る舞うのが習性になっているのだ。
貴族院で怖い大人達の監視の目がなくなるとたちまち調子に乗り、ヴェローニカとゲオルギーネの意を受けている者達に「ローゼマインはアウブの子として洗礼式を上げたが碌な出自ではない」「ヴェローニカの孫こそがアウブに相応しい」「女などにアウブは務まらない」等々と囁かれて真に受け舞い上がる。
そして縁戚を強調して親しげに寄ってくるディートリンデとリュディガーにも煽てられて「私が次期アウブだ」とあちこちで言いふらすのだ。その際、当然のようにローゼマインのことを貶めるのだが、これが必ず厄介事を運んでくる。

マイン五歳でメンバーの記憶が戻るため、フェルディナンドによる早期確保囲い込みと治療により実年齢でボニファティウスの娘として洗礼式を上げるようになっているのだが、これは面倒事回避の意味もあった。ダンケルフェルガーのハンネローレである。
彼女と同年で入学すると、いつもおどおどしていて宮廷作法の実技で「威厳が足りない」と注意されるこの娘、ローゼマインがダンケルフェルガーと関わらないように努めても何故か「お友達になって頂けないかと……」と寄ってくるのだ。領地順位が真ん中くらいで高圧的な所のないローゼマインなら怖くないと考えてのことだろうが、もれなくレスティラウトが付いてくるために必ず面倒事に発展する。
それを避けたいのだが、ヴィルフリートが「問題なし」と判断されてしまった周回では面倒な厄介事を運んでくるのが常であった。今回もその例に漏れず、ドレヴァンヒェルのオルトヴィーンと親しくなったと鼻高々のヴィルフリートが厄介事の始まりを運んできた。

「ダンケルフェルガーのハンネローレ様が其方もお茶会に招待したいと言って下さったぞ。私に感謝するんだな」

ローゼマイン達は当然ながら呆れ返った。ダンケルフェルガー、アーレンスバッハ、フレーベルタークには警戒して迂闊に関わらぬようにとアウブのボニファティウスから厳命されているのに、何故ここまで偉そうなのか。
順位と武力を笠に着た搾取を当然とするダンケルフェルガー、縁戚を盾に取引という名の搾取を虎視眈々と狙っているアーレンスバッハとフレーベルタークは、エーレンフェストにとって最も警戒する領地だと領主候補生でなくとも叩き込まれている。ヴィルフリートは勉強が出来るようになってもこういう所が非常に残念な頭のままで、上位領地の領主候補生と親しくなれば自分も偉くなったと勘違いするのだ。
アーレンスバッハの領主一族の血を引く者がエーレンフェストで最上位だとヴェローニカに刷り込まれたのが原因だろうとメンバーは判断しているが、実に理解に苦しむ理屈である。
ちなみにローゼマインは王族対策に、悩めるエグランティーヌに婚姻後は義姉妹となるアドルフィーネと親交を深めることを勧めている。アドルフィーネにはエグランティーヌが選ぶのを座して待つ必要はない、どちらの王子がツェントになってもグルトリスハイトが無いのは同じなのだから、ドレヴァンヒェルに少しでも多くの利を齎す王子と婚約できるようエグランティーヌをそれとなく誘導すればいいと囁くのがルーチンワークになっている。
お悩み相談したいエグランティーヌは悲劇の王女アピールをアドルフィーネに存分に聞いてもらうことができ、アドルフィーネは知のドレヴァンヒェルの誇りにかけて入念に情報解析してエグランティーヌを思考誘導することに余念がない。
高貴なる二人の姫に声を掛けられる理由が胸元で燦然と輝く求愛の魔石なので、求婚の魔石を作れるようになって婚約式を上げる頃にはどちらかが次期アウブの指名を受けるだろうと告げれば、既に婚約もしている事もあって自領や王族へと誘われることもない。win-win-winである。
つまり、親しくなった相手で偉さが決まるならエーレンフェスト最上位はローゼマインのはずだが、ヴィルフリートはそんな事は考えない。
アーレンスバッハの血を引いていてオルトヴィーンとディートリンデと仲良くなった自分はやっぱり高貴で偉いと、無邪気に信じている。実情は情報搾取し放題なカモでしか無いのだが。

「ハルトムート、アウブとフェルディナンドに報告を。招待を受けてしまったのなら仕方がありません。万全の体制で臨みます」
「何を報告するというのだ。ダンケルフェルガーからのお誘いだぞ!?」
「上位領地との社交ならアウブに報告は必須です。指示も仰がねばなりません。ヴィルフリートからも報告しなさい」
「女のくせに生意気だぞ! 私に命令するな!!」

いきり立つヴィルフリートを捨て置いて、ローゼマインの指揮で社交の準備が粛々と進められる。
ヴィルフリートには大量のお説教木札とお茶会終了次第の帰還命令が届いて荒れ狂い、ローゼマインに当たり散らした。人目を憚ることすら無く多目的ホールで行われたため、ハルトムートを筆頭に眷属達はヴィルフリートの養子縁組解消は確実だからその事を他領に広めておくようにと学生達に指示を出した。
どうせ来年の貴族院でバレるのだ。早めに心の準備をしておけという親切心である。
エーレンフェストが正しい情報を拡散してもダンケルフェルガーにはほぼ無意味だが、それでもやらないよりはマシと諦念にかられながらお茶会までの短期間でせっせと情報を撒き、小型化と省魔力化した録音の魔術具を大量に用意する。ローゼマインと側近達が持ち、ボニファティウスとフェルディナンドによって付けられたヴィルフリートの側近にも渡して全てを録音するよう厳命する。
レスティラウトがやらかすことは経験から知っているからだ。例え上位領地であっても、言い逃れできない証拠をしっかり抑えておけばどうとでも料理できる。
そして、お茶会当日となった。

「お招きいただき、ありがとう存じます」

ローゼマインが淑やかに挨拶すると、早速ヴィルフリートが不満げである。
罪人となった前アウブ夫妻の息子で大罪人の祖母に養育され、アウブの養子に過ぎないヴィルフリートより、アウブの実子となっているローゼマインの方が当然ながら立場は上だ。年長なこともあって彼女が代表して挨拶するのは当たり前なのだが、調子に乗りまくって次期アウブだと吹聴している彼は自分が挨拶するものだと思っていたらしい。

ヴィルフリートがまともな常識を保ち続けている側近にそっと肩を抑えられ、如何にも不承不承といった様子で取り繕って席に付く。こういう態度が隙になってエーレンフェストというかローゼマインが大惨事になるのでメンバーは教育係となる側近を厳選するのだが、大抵の周回では貴族院に入学するなり彼らの努力は水泡に帰す。

「わたくし、ローゼマイン様とお友達になりたかったのです」
「光栄でございます、ハンネローレ様」

やはりこの周回もか、とメンバーは若干うんざりした。大領地同士でよろしくやってもらいたいのだが、常日頃から傲慢で高圧的なレスティラウトに抑え付けられているせいか、一見したところでは穏やかで鷹揚な紺色シュミルに隙あらば寄ってくるのだ。奉納舞の講義くらいでしか見かけないだろうに面倒な、とメンバーは内心で舌打ちする。
それでも表面上は和やかにお茶会は進み、レスティラウトがやらかしのアップに入った。

「ハンネローレはローゼマインと親交を深めればよかろう。ヴィルフリート、あちらでゲヴィンネンに付き合え」

メンバー一同、打ち揃って情報拡散に励んだというのに今回も効果はなく、レスティラウトは恒例のやらかしをするつもりらしい。
ちなみに今回は即座に徹底的な追い落としと磨り潰しを実行するということでメンバーの心は一致している。後手に回るのはもううんざりだ。ダンケルフェルガー籍のメンバー、クラリッサもお茶会に潜り込んで力強くハンドサインを出しているのは余談である。
身体強化で聴力を上げ、レスティラウトとヴィルフリートの会話を盗み聞きしながらハンネローレと談笑していると案の定である。

「次期アウブは私です! ローゼマインではありません!!」

ボニファティウスからの指名もないのに何故こんな事を言い放てるのだこの空っぽ頭の大馬鹿者が! メンバーは心で同じセリフを叫んだ。
ローゼマイン一同は冷えた笑顔で激しく憤りつつ、ハンネローレと共にゲヴィンネンをしている卓へ向かう。
レスティラウトがニヤリと笑うのを見て、何が何でもぺちゃんこにしてやろうとメンバーの心はひとつになった。ついでにクラリッサもいそいそとローゼマインの文官の位置に立った。

「ヴィルフリートが次期アウブならば、ローゼマインがエーレンフェストに残る必要はなかろう。其方を次期アウブである私の第一夫人として迎える。ダンケルフェルガーに来い、ローゼマイン」
「お断りします」
「何だと!?」
「当然ではありませんか。わたくしにはツェントの承認を受けた婚約者がおります。闇の神とも命の神とも思い定めたフェルディナンドを捨ててダンケルフェルガーへ行くなど有り得ません」
「ディッターの魔王とかいうアレか。神殿に入れられた瑕疵持ちの老いた男だろう。其方に相応しいのは底辺の下位領地ではなくダンケルフェルガーだ。第一夫人として迎えると言っているのに何が不満だ」
「不満と怒りしかありません。ローデリヒ、走りなさい」

貴族の所作も作法も投げ捨てて、ローデリヒはエーレンフェスト寮に走った。シュタイフェリーゼより疾くフェルディナンドとボニファティウスを呼ぶために。
こういう暴走を窘めて抑えるのがダンケルフェルガーの女の役目なのだが、ハンネローレはいつものごとくオロオロしているだけである。窘めても怒鳴りつけて黙らせて強引に事を運ぶのがレスティラウトの常ではあるが、苛つくものは苛つくとメンバーから氷雪が吹雪き始めた。
そしてこの後の流れが何故かいつも同じになる。レスティラウトはローゼマインとハンネローレの言葉を無視してヴィルフリートを挑発し続け、遂に禁断の言葉を言い放ってしまった。

「そこまで言うのならば力を見せよ。ローゼマインを賭けた嫁取りディッターを申し込む!」

うおぉぉぉぉ! と盛り上がるダンケルフェルガーの騎士見習い達と武寄りの者達をひたと見据え、ローゼマインが鋭い声を上げた。

「静まりなさい!!」
「はっ!!」

ローゼマインのしなって唸りを上げる細いムチのような一声に、ダンケルフェルガーの学生達は脊髄反射で従った。ローゼマインはアウブだのツェントだのを伊達に繰り返していない。圧倒的上位者の貫禄だった。

「そこの騎士見習い、答えなさい」
「何なりと!」
「待て、ラザンタルク! 其方は私の側近だろうが!!」
「礼儀も作法も常識も知らない無礼者は黙りなさい、レスティラウト」

ピシャリと言い切ったローゼマインにレスティラウトとハンネローレは絶句したが、何故かダンケルフェルガーの学生達は恍惚とし始めた。特に騎士見習い達が。
ここで我に返って欲しくない人物が我に返った。無駄な方向に打たれ強くて空気が読めないヴィルフリートだ。

「ディッターを申し込まれたのは私だぞ、ローゼマイン! 口を挟むな!!」
「ヴィルフリートも黙りなさい。貴方にはこのディッターを受ける権利も資格もありません」
「何故だ!」
「ラザンタルクでしたね。嫁取りディッターについて簡潔に説明なさい」
「畏まりました!」

ビシッと背筋を伸ばして最敬礼したラザンタルクがハキハキとダンケルフェルガーでしか通用しない常識を解説する。
ヴィルフリートとその側近達は困惑し始めた。解説の通りであれば確かにヴィルフリートにディッターを受ける権利はなく、そもそも申し込みからして成立していない。

「そこの文官見習い、詭弁を弄して欺瞞に満ちた偽りの嫁取りディッターを申し込む者がダンケルフェルガーでどうなるか、答えなさい」
「はっ、ケントリプスであります! 神聖なるディッターを穢すその様な男は間違いなく廃嫡となり、厳しく重い罰を受けるでしょう!!」

うんうんと頷くダンケルフェルガーの学生達に、メンバーは心の底から苛ついた。廃嫡確実なやらかしをしている次期アウブに気付かず盛り上がっていた貴様らは何なんだと。
レスティラウトは側近達から廃嫡だと言われて焦りを見せ、往生際悪く言い募り始めたが、そこへ待望の二人がローデリヒに先導されてやって来た。

「待たせた、ローゼマイン」
「恥を知らぬ愚か者はその小僧か。儂に任せよ、ローゼマイン」
「お父様、フェルディナンド。お待ちしておりました」
「な……、貴族院に大人が介入するなど、エーレンフェストは何を考えている!」
「それはこちらの言いたいことだ。嫁取りディッターだと?」

ギロリとボニファティウスがレスティラウトを睨めつけ、フェルディナンドには大魔王を通り越して大魔神が降臨している。レスティラウトの側近達はどこかウキウキした様子で二人に席を用意した。

「魔王だ……!」
「金獅子! 金獅子だぞ……!」
「伝説の二人がここに……!」

ウキウキしているのは伝説のディッター巧者と強者が揃って、しかも突然にお茶会室に現れたからだった。ボニファティウスも貴族院時代に多くの伝説を残した猛者である。そのせいで「魔王の婚約者、金獅子の娘をダンケルフェルガーに」というレスティラウトの詭弁に乗せられたわけだが。
愚か者と言われたレスティラウトは気色ばみ、ハンネローレは愕然としたが、ダンケルフェルガーで偉いのはディッターが強い者だ。
つまりこの場で一番偉いのはボニファティウスとフェルディナンドである。今の所バレてはいないがローゼマインも絶対強者のひとりに数えられるため、この時点でダンケルフェルガーとエーレンフェストの力関係は完全に逆転した。

「ローゼマインを賭けた嫁取りディッターだと抜かしたそうだな。しかもそれをヴィルフリートに申し込んだと聞いた」
「ローゼマインの様に優秀な者は下位のエーレンフェストに相応しくありません。次期アウブである私の第一夫人として申し込みました。不足はないでしょう」
「戯けが!!」

ボニファティウスの大喝に、慣れていない者達が一斉に姿勢を正した。

「ラッフェルを共に育んでおらぬ相手に対して嫁取りディッターは成立せぬ! その上、ヴィルフリートを挑発して受けさせようとしただと!? ディッターを愚弄する恥知らずがダンケルフェルガーのアウブになれるわけがなかろう!!」
「レスティラウト様は次期アウブを名乗りながら最低限の常識も慣習もご存じないらしい。未だ学生の、正式な貴族として認められぬ子供だけで領主候補生の婚姻を決めるなど有り得ぬ。その様な話、アウブ・エーレンフェストが拒否して終わりだ」
「ダンケルフェルガーの圧力を躱せると思っているのか? 所詮はツェントの承認でしかないのだ。そんなもの、ダンケルフェルガーにかかれば」
「其方では話にならぬわ。アウブ・ダンケルフェルガーを呼べ。厳重に抗議せねばならん」

脊髄反射で従おうとした側近達をレスティラウトは止めたが、クラリッサが弾む足取りで呼びに行った。眷属とは言え彼女もダンケルフェルガーの女だ。ディッターを愚弄するレスティラウトは許し難い。それがローゼマインを煩わせるとなれば、領地順位の上下など関係なく叩きのめして磨り潰さねばならない。
レスティラウトは第二位のダンケルフェルガーを持ち出せば思い通りになると考えていたが、相手が悪かった。ボニファティウスとフェルディナンドにとって、ダンケルフェルガーは上位に対しての礼はとっても恐れる領地ではない。ディッターで強く深く繋がっているからだ。
しかも婚姻関連ではフェルディナンドに対して盛大にやらかしている。レスティラウトの言い分に従う必要など全く無いというのがボニファティウスとフェルディナンド、ローゼマインのスタンスだ。そしてこの三人がダンケルフェルガーの慣習に詳しいのがレスティラウトの誤算だった。
レスティラウトが口を開こうとする度に「黙れ」とボニファティウスが怒鳴りつけていると、ダンケルフェルガーのアウブ夫妻が到着した。

「アウブ・エーレンフェスト。重大な問題が発生したと聞いたが、貴族院に大人の介入は……」
「アウブが介入せねばならぬ事態だから呼び出したのだ」

アウブ達は手短に挨拶を済ませると、さっさと本題に入った。直截なやり取りを好むのはダンケルフェルガーもボニファティウスも同じである。

「そこの小童こわっぱがローゼマインを賭けた嫁取りディッターだとほざいたが、其方等、一体どの様な教育をしているのだ」
「その話なら聞いている。ローゼマイン様との間にブルーアンファが舞い、是非ともダンケルフェルガーに迎えたいと言うので許可した。そちらにとってもレスティラウトの第一夫人であれば悪い話ではあるまい」
「良い悪いの話ではない。今のダンケルフェルガーでは婚約者のいる娘に嫁取りディッターを挑めと教えているのか」
「いや、それは……レスティラウトがエーレンフェストに正式に申し込むと言っていたのだ。ルーフェンからも同様の報告を受けている」

ここでフェルディナンドが口を挟んだ。

「エーレンフェストの者に確認したのですか? ローゼマインがダンケルフェルガーに嫁ぎたがっていると?」

ダンケルフェルガーのアウブ夫妻は一瞬、視線を彷徨わせた。ルーフェンからの報告内容は「貴族院で嫁取りディッターを行うことになった。素晴らしい」といった内容を感情的且つ情熱的に表現を変えて書きまくっているだけで、エーレンフェスト側の意見や事情、状況には一切触れられていなかった。
貴族院で嫁取りディッターをするという本来なら有り得ない報告があった時点で、レスティラウトとルーフェンを厳しく窘めて抑え込んでいればいればまだダンケルフェルガーに救いはあった。しかし、レスティラウトの第一夫人選びに苦慮しているせいであわよくばと欲を掻いたのが運の尽きだった。

「万が一その様な報告があったのなら、ルーフェンは罷免すべきでしょう。中央貴族、貴族院教師でありながらダンケルフェルガーのみを優遇し、領主候補生の婚姻をアウブにはからず決めようとするなど、教師の資格が無いどころか貴族であることすら許しがたい。そして私のラッフェルはローゼマインのものであり、ローゼマインのラッフェルもまた私のものです。ローゼマインとレスティラウト様の間にブルーアンファが舞うなど有り得ません」
「既に婚約しているローゼマインに対して嫁取りディッターというだけでも有り得ぬが、更に有り得ぬのがヴィルフリートを挑発して受けさせようとした事だ。アウブ・ダンケルフェルガー、よもやそれが正式な申込みとは言うまいな」
「ヴィルフリート様は次期アウブだと報告を受けている。ならばアウブ・エーレンフェストの代理として不足はなかろう」
「ディッターを受けようとしたそこの馬鹿者は次期アウブではない。貴族院での振る舞いがあまりにも目に余るため、儂との養子縁組を解消して領主候補生から降ろすことも決まっている。この事は隠し立てしておらぬ故、そちらに報告が上がっていないのは不自然に過ぎる。領主候補生が二人も在籍していながら情報収集をしていないのか? 有り得ぬぞ。どうなっている」
「……ハンネローレ、どういう事ですか?」
「あ、あの、わた、わたくし、報告書、ちゃんと、書いています……」

ハンネローレは大人達とローゼマインに冷ややかに見つめられて涙目で震え上がった。ループメンバーにとってはいつものことではあるが、レスティラウトは自分に都合がいいように報告書を改竄したり握り潰したりの常習犯だ。ここでジークリンデがハンネローレに確認を取ったのは正しい。

「ケントリプス、どうなっているのか説明なさい」

ジークリンデが額に青筋を立てて要求すると、ケントリプスは最敬礼で応えた。

「少々お待ち下さい! 報告書を取って参ります!!」
「待て、ケントリプス!」

レスティラウトが慌てて声を上げたが待てるわけがない。怒れるジークリンデに逆らえばディッターどころか訓練にさえ参加できなくなってしまう。
愛らしく優秀なローゼマインをダンケルフェルガーに迎えるためとレスティラウトに言い包められて嫁取りディッター実現に協力していたが、ローゼマインに問いかけられ、ボニファティウスとフェルディナンドに繰り返し「有り得ぬ」と言われたことで、レスティラウトが廃嫡相当のやらかしをしていることをようやく実感したのだ。
主とは言え、庇えるレベルを超えていた。
そして運び込まれた木札の山にレスティラウトの側近達は悄然と俯き、他の者達は呆れ返った。ざっと流し見るだけでもエーレンフェスト関連、特にハンネローレが書いたローゼマインについての報告書がほとんど送られていないだろう事が分かる。
ダンケルフェルガーのアウブ夫妻が手近にある数枚を手にとって読んでみれば、上がっていた報告内容とハンネローレの報告内容は齟齬があるどころではなく全くの別物だった。
アウブ・ダンケルフェルガーは苦しい言い訳を重ねてきたが、流石にここまでくるとどうしようもない。不正な嫁取りディッターについては他領に対して誤魔化すこともできるが、大領地でありながら他領の次期アウブを取り違えるなど、領地対抗戦や領主会議で明るみに出ればとんでもない大恥であり大失態である。

「レスティラウト……貴方は我が領地を貶める所だったと分かっているのですか?」

ジークリンデの静かな叱責を受け、レスティラウトは開き直った。止せばいいのにと誰もが思ったが、自分が必ず次期アウブに立つと思い込んでいるレスティラウトは傲慢極まりない主張を続けた。

「底辺領地の情報が少々不足していても問題などありません。第一、ローゼマインを第一夫人に迎える事は父上も母上も賛成して下さったではありませんか」
「其方とルーフェンがブルーアンファが舞いラッフェルを育んでいると報告してきたから許したのだ。とんでもない虚偽報告ではないか。ハンネローレの報告書が正しく上げられていれば許可などしなかった」
「それでも! 欲しいものを手に入れるために手を変え品を変え諦めず挑戦し、力を以って奪い取る! それがダンケルフェルガーではないですか!!」

アウブ夫妻はレスティラウトの歪んだ力の信奉に愕然とした。ダンケルフェルガーが奉じる力はそういう意味ではない。あくまでも正々堂々、正面突破だ。虚偽を重ねて詭弁を弄し、女性の外聞を貶めて手に入れようと画策するなどダンケルフェルガーの誇りがあればできないはずだった。
ボニファティウスは呆れ返り、フェルディナンドは最高に麗しい笑顔で確実に追い落とそうと改めて心に誓い、ローゼマインは嫌味爆弾を炸裂させる事に決めた。

「アウブ・ダンケルフェルガー、そこの恥知らずを次期アウブに据えたままで良いのか?」
「エーレンフェストを底辺だの下位だのと仰ってますが、現在十位。上位領地の一端に加わっています。何を根拠にした発言なのかしら」
「ディッターでダンケルフェルガーに土を付けた伯父上がアウブとなり、私が中継ぎの指名を受けたのだ。ローゼマインとの婚約を強引に成立させて卒業式で破棄し、エーレンフェストに恥を掻かせるつもりであろうな。余程我々が憎いとみえる。マグダレーナ様に良く似ておいでだ」
「そう言えば、上級貴族のアインリーベと婚約されたばかりですよね。アウブ夫妻がわたくしへの求婚を許可したそうですが、そちらはどうするおつもりでしたの?」
「我々を貶めるための求婚なのだ。夫人になるのはその娘であるとして婚約を維持し、星結びを終えてから君と婚約すると吹聴しておけば良いとでも考えたのだろう」
「ツェントの承認などダンケルフェルガーにとっては意味がないとうそぶいてましたものね。マグダレーナ様はフェルディナンドを嫌っておいでですし、喜んで協力なさるでしょう」
「その通りだ。既にかの方の協力を取り付けているのではないか?」

マグダレーナの事を持ち出されるとアウブ夫妻としては厳しいのだが、レスティラウトは頓着しなかった。欲しいものを手に入れるためならあらゆる手段が許されると信じ、両親の静止を振り切って叫んだ。

「そんな恥知らずな真似はしない! 私の手を取れ、ローゼマイン! 其方に相応しいのはダンケルフェルガーだ!!」

エーレンフェスト勢は失笑した。ダンケルフェルガーはフェルディナンドの婿入りを申し入れてアウブ同士で合意しておきながら、理由も告げずにエスコートを断ったという前科がある。ダンケルフェルガーの騎士見習い達がフェルディナンドとマグダレーナの婚約が確定したかのように騒ぎ立てていたので、フェルディナンドの卒業式でエスコート相手が叔母になっていて赤っ恥を掻かされたのだ。
全領地の前でフェルディナンドとエーレンフェストに瑕疵を付けて笑いものにし、その後も十年近く経った現在に至るまで、補填どころか詫びの一言もない恥知らずな領地としてエーレンフェストでは周知徹底されている。フェルディナンドが神殿に入れられた主原因がダンケルフェルガーの仕打ちだったと情報操作も完了済みだ。
ツェントの第三夫人とダンケルフェルガーに疎まれたために表に出せず神殿送りになったというのは実に説得力のある話なので、疑う者はまずいない。ボニファティウスもその事は大いに関係してるだろうと丸め込まれている。
そんなダンケルフェルガーからの、根回しも打診もすっ飛ばした成立しない嫁取りディッターのゴリ押しだ。これはフェルディナンドの時より酷い。
領主候補生の婚姻はアウブ同士で協議して合意に至ってからツェントに申請し承認を受けなければならないのだから、ボニファティウスに一言もないままで婚約解消と新たな婚約を成立させようというのが言語道断である。しかも、ローゼマインとレスティラウトが恋仲だという嘘っぱちとヴィルフリートの自称次期アウブが事実であるとの虚偽報告付きだ。
ダンケルフェルガーは間違いなく恥知らずな領地だとループメンバー以外が心に刻んだ。ちなみにメンバーにとってダンケルフェルガーが恥知らずなのは常識である。王族よりもクラッセンブルクよりも横槍が多い領地、それがダンケルフェルガーなのだ。

「黙れ、小童!! 常識も礼儀も知らぬ恥知らずめが!! 騎士の風上にも置けぬわ!! 其方等もだ、ヴェルデクラフ、ジークリンデ! ローゼマインへの求婚を許可しただと!? 既に婚約者のいる次期アウブ最有力候補を何だと思っている! 一度ならず二度までもこの様な仕儀、到底許されぬと心得よ!!」

瞬間沸騰したボニファティウスがダンケルフェルガーの親子三人を怒鳴りつけた。ダンケルフェルガーよりもダンケルフェルガーらしい伝説の漢、それがボニファティウス、エーレンフェストの金獅子だ。先代のアウブ・ダンケルフェルガーと親しい事もあって、流石のアウブ夫妻も敬意もへったくれもない罵声に異議を唱えるのは無理だった。
それでも欲しいものが手に入らない事態に慣れていないレスティラウトは言い募ろうとしたが、アウブ・ダンケルフェルガーが素早く口を塞いだ。これ以上醜態を晒せば、先代とその兄弟達も呼び出されてしまう。姑息で卑劣な手段でローゼマインを手に入れようとしたとバレれば、ダンケルフェルガーがひっくり返る騒ぎになるのは確実だ。せめて手打ちで済ませてから報告したい、それがアウブ・ダンケルフェルガーの偽らざる本音だった。

「伯父上、一先ず落ち着いて下さい。ルーフェンがどれだけ話が広げているか確認せねばなりません。ハイスヒッツェ!」
「はっ!」
「直ちにルーフェンを呼び出せ!」
「畏まりました!!」

アウブ・ダンケルフェルガーの護衛騎士に当然のように命令するフェルディナンドと、それを嬉々として実行するハイスヒッツェ。実に場が混沌としているが、ハイスヒッツェが嫁取りディッターの件で話があるとオルドナンツを飛ばすと、喜色満面のルーフェンがウキウキとやって来て更に混沌の坩堝と化した。

「おお、アウブがお揃いとは! いつでも嫁取りディッターを行えるよう、訓練場は確保してあります!! 貴族院で嫁取りディッターに立ち会えるとは思ってもみませんでしたが、何と情熱的な事か! ローゼマイン様は誰もが羨む第一夫人となりましょう! お美しく優秀な金獅子の姫君を迎えればダンケルフェルガーは更に」
「黙れ。恥知らずの卑劣漢がディッターを語るな。耳が穢れる」

怒りが天元突破したボニファティウスは低く静かに吐き捨てた。シュネーアストの氷雪を纏ったライデンシャフトの槍そのものだったとボニファティウス伝説に新たな一節が加わったというが、閑話休題それはさておき

「ダンケルフェルガーはいつの間にこれ程落ちぶれたのだ。有り得ぬ、何もかもが有り得ぬ。騎士の誇りと礼節をどこへ捨てた?」
「中立の立場を捨ててグルトリスハイトを持たない王子を玉座に押し上げた時に、ツェントの剣の誇りも捨てたのでしょう。――ルーフェン」

大声で呟き続けるボニファティウスにさらりと言葉を返し、フェルディナンドはぞっとするほどの穏やかさを湛えて問いかけた。

「私のローゼマインとそこの痴れ者がラッフェルを育んでいるという有り得ぬ戯言を、誰に話した」
「――中央棟の、食堂で」
「そこで、誰に、何を話した」
「き、騎士コースの教師達に、近々、エーレンフェストと、嫁取りディッターを行い、ローゼマイン様、を、ダンケルフェルガーにお迎え、する、と」
「それを、誰が、聞いていた」
「ち、近くに、居た、の、は。ぷ、プリムヴェール達と、パウリーネ達、だった、か、と」

遠慮も配慮もなくダンケルフェルガーの面々に威圧をぶつけていたフェルディナンドが、ルーフェンの答えを聞いて盛大に舌打ちした。ローゼマインも眷属達もうんざりなメンツである。

「寄りにも寄って、噂好きの側仕えコースの先生方が集まっている時に、その傍で、わたくしが不実でふしだらな女だと声高に囀ったのですね」
「その様な事は一言も言っておりません! ただ、ローゼマイン様をダンケルフェルガーにお迎えできるのが喜ばしいと! 貴族院で情熱的な素晴らしいディッターが行われると!! それだけです!!」
「『それだけ』だと? それこそがローゼマインを貶めていると理解できず、気付きもせぬ阿呆が」
「最悪です。既に教師全員が知っているはずです」
「クラッセンブルクとドレヴァンヒェルは嫁取りディッターと嫁盗りディッターの違いを知っている。マグダレーナがいる中央も同様だ。成る程、そう繋るのか。この落とし前は必ず付けてもらうぞ、ダンケルフェルガー」

レスティラウトが嫁取りディッターを叫ぶと高確率でクラッセンブルクとドレヴァンヒェル、王族までもが直後から横槍を入れてくる理由が分かったとループメンバーは嫌な方向で納得した。
嫁取りディッターは想い合う男女に婚姻許可が下りない時に、女性の親権者に対して男性が申し込むものだ。双方が誰とも婚約していないのが大前提だというのに、ローゼマインもレスティラウトも婚約者がいる。
そこへダンケルフェルガー出身の騎士、ルーフェンが申し込みすらされていない嫁取りディッターが貴族院で行われると声高に語り、ローゼマインがダンケルフェルガーに嫁ぐと喜ぶ。
ふたつのディッターの違いを知っている者達が、善意を装った悪意と欲に満ちた申し入れをしてくるのは道理だった。

――身持ちの悪い娘を引き受けてやろう。
――上位領地の第三夫人であれば面目も立とう。
――その後どう扱うかは此方に任せてもらう。
――離縁して愛妾に落とすだけで済ませてやる、感謝して欲しいものだ。

粉をかければ誰にでも簡単に靡く尻軽であり、更に婚約者が神殿に落とされていたという経歴が追加され、幼くして色欲に耽るふしだらで淫らな娘の出来上がりだ。
どこもかしこも魔力不足で少しでも魔力量が多い者を求めている。それが子を産める娘なら喉から手が出る程度には欲しいだろう。孕み女として共有するのを躊躇う必要もない。何せ、とんでもなく淫らな娘なのだから。

「……フェルディナンド」
「お任せ下さい、伯父上」

ぐるぐると膨らんで唸りながら辛うじて呼び掛けたボニファティウスに応え、フェルディナンドは過去最高に綺羅綺羅しく微笑み、途轍もなく高尚な貴族言葉でダンケルフェルガーを責めて責めて責め倒した。
今やどうでもいい遠い過去となっているマグダレーナの事も持ち出して、丁寧に、念入りに、ダンケルフェルガーの行いが途方もなく卑劣で下劣極まりないものであり、エーレンフェストを最悪の斜め下に突き抜けるほど侮辱し貶めているのだと、長々と朗々と、謳い上げるように語りまくった。
要約するとさして長い話ではないのだが。

ルーフェンの食堂での発言はダンケルフェルガーが高魔力の孕み女を手に入れた事についての自慢と宣伝、希望する領地に貸し出す用意があるという根回しであり。
フェルディナンドのダンケルフェルガーへの婿入り話を持ち掛けて一方的に破棄し、その後一切の補填も謝罪も口先だけの気遣いすらなかったのは、彼が神殿関係者であり続ける方が都合が良かったからであり。
そしてフェルディナンドがローゼマインという高魔力の娘と婚約したわけだが、庶子でありツェントの第三夫人に捨てられた上に神殿落ちという、六年間で合計十八もの最優秀獲得すら台無しになる瑕疵持ちの男から女を救うという大義名分を掲げる絶好のタイミングだとかねてよりの計画を実行しただけであり。
これを前例と実績としてエーレンフェストを孕み女の供給地に仕立て上げたのだと。

ダンケルフェルガーの面々には、反論の余地がなかった。何ひとつ反論できる根拠がなかった。ひとつひとつ、それぞれが碌でもない恥知らずの所業だった。
まとめてしまえば短い話なのだが、フェルディナンドが長々と語り続けた事で十分以上に考える時間が生じ、ダンケルフェルガー一同は蒼白を通り越して土気色になり、エーレンフェスト勢は怒りで全身を染め上げた。
フェルディナンドが神殿に入ったと知った時、憤ってジルヴェスターをダンケルフェルガー内で声高に罵ったが、やった事はそれだけだ。当時アウブだったジルヴェスターにフェルディナンドを神殿から出せと一言、直接言っていれば、簡単に領主候補生の立場を取り戻せただろう。
たったの一言。それだけで良かったのに、何もしなかった。しかも神殿入りの主原因がマグダレーナの行いであると言われれば、それも当然の措置だと同意するしかない。ツェントと第三夫人から疎まれたとあっては、ダンケルフェルガーの貴族であっても表に出せる存在ではないのだ。それがエーレンフェストの貴族となれば何をかいわんやである。
当時は政変終結の慌ただしさとエーレンフェストが文字通り底辺であったことから捨て置いて気にも止めなかったが、改めて掘り返されれば礼儀も常識もない振る舞いだった。
そしてフェルディナンドが復権したのは喜ばしいと言いながら、彼がようやく得た婚約者を大領地の次期アウブの第一夫人に迎えてやるから喜べと言って取り上げる。ダンケルフェルガーの喜びが悪意に塗れた薄暗いものだと白状しているようなものだ。
これでより一層フェルディナンドとエーレンフェストを貶めることができると言っているのと変わらない。

ハイスヒッツェは心からフェルディナンドを救いたいと思って先代アウブに奏上し、中立領地から領主候補生の婿を迎えるのは政変に影響がないこともあって歓迎されたが、その後がお粗末すぎた。マグダレーナがトラオクヴァールに嫁ぐことを止められないのなら、せめて、フェルディナンドに一切の非がないことを知らしめるよう働きかけるべきだった。

レスティラウトはエグランティーヌへの淡い初恋に区切りが付いた頃に、エグランティーヌとはまた違った美しさを持つローゼマインの奉納舞を見て恋をした。中領地の領主候補生でありながら最優秀としてツェントからお褒めの言葉を賜る姿に、大領地のアウブの第一夫人も十分に務まると確信した。そして策を練り、両親の許しを得て求婚した。望むものは手に入るのが当たり前だったレスティラウトは、婚約者がいるのは分かっていても諦められなかった。

ルーフェンは貴族院で嫁取りディッターを行い立会人を付けるのは、エーレンフェストから死者を出さないための配慮だと聞かされて賛同した。下位領地への気遣いを忘れないレスティラウトは素晴らしい次期アウブだと称賛さえした。あっという間に講義を合格していくローゼマインは教師の間でも有名であり、美しく優秀で魔力豊かな彼女と心優しきレスティラウトが並び立ち、ダンケルフェルガーを牽引していく姿を夢想した。誰もが認めるダンケルフェルガーの次期アウブからの申し入れだ。断る領地や女性が存在する事を想像できなくて、二人がラッフェルを育んでいると信じただけだ。

ハンネローレは奉納舞の講義でエグランティーヌやアドルフィーネと親しげに語るローゼマインを見て憧れた。ダンケルフェルガーらしからぬ泣き虫姫とあだ名される自分と引き較べ、女性領主候補生は幼くともかくあるべしと精一杯の勇気を出してお茶会に誘ったのだ。兄が自分の書いた報告書を握り潰して虚偽報告を重ね、とんでもない大醜聞をせっせと作り出していたなど信じられない事だった。ハンネローレ主催のお茶会で次々と明らかにされるダンケルフェルガーの傲慢さと不遜さ、無礼極まりない振る舞いの数々と、自分の間の悪さに絶望した。

ヴェルデクラフとジークリンデはダンケルフェルガーにもローゼマインを求めるだけの理由があるのだと言いたかったが、懸命に堪えた。エーレンフェストには全く関係の無い事ばかりだからだ。
レスティラウトの第一夫人にはエグランティーヌかアドルフィーネが欲しい所だが、どちらも王族と縁付く事が決まっていてダンケルフェルガーは手が出せない。次に候補に上がるのはディートリンデだが、アーレンスバッハにそれとなく打診してみればアウブ候補だと断られる。
では他に、と見渡しても相応しい女性領主候補生がいない。そこへ現れたのがローゼマインだ。レスティラウトが熱心に望んでいるし、過去にはエーレンフェストからダンケルフェルガーへの婿入りを持ち掛けた事もある。大領地の庇護を約束し、ご破算になった婚約の補填だと言えば受け入れられるだろうと計算した。ご破算になった婚約の補填が再びのご破算では、全く意味がないどころかさらなる不名誉を押し付けるだけだったのだが。
エーレンフェストにはダンケルフェルガーと親しいボニファティウスとフェルディナンドがいる。嫁取りディッターという正式な求婚を経れば納得するだろうし、どこからも文句は出ないだろうと思った。そう判断してしまった。
だがその求婚はダンケルフェルガーだけの慣習に過ぎず、ほとんどの領地は知らないことだ。挑まれたディッターは受理一択、それが礼儀だと主張しても、やはりダンケルフェルガーの慣習でしかない。アウブへの打診もなく領主候補生を奪い取ろうとするとは何事か、ユルゲンシュミットの法と慣習に反するのかと問われればどうしようもない。

そしてアウブ夫妻がしでかした取り返しのつかない過ちは、次期アウブ・ダンケルフェルガーに指名した長男を信じて全く疑わなかった事だ。正式に求婚するという言葉を信じ、ヴィルフリートが次期アウブ・エーレンフェストだという報告を信じた。二人は当然ながら、領地対抗戦でボニファティウスに対して嫁取りディッターを申し込むと思っていたのだ。
今日の呼び出しも申し込みが少々早まっただけであり、ヴィルフリートからボニファティウスへ報告が上げられて、正式なディッターの契約は領地対抗戦で交わされるのだろうと軽く考えてしまった。
それが蓋を開けてみればこのざまだ。まさか寮監のルーフェンが申し込み前から浮かれて触れ回っていたとは予想外である。これではダンケルフェルガーの誇りをどこに捨てたと罵られても何も言えない。
どうにか挽回できないものかとアウブ夫妻は思考を巡らせたが、これほどのやらかしをどうにかできる素晴らしい閃きなどそうそう得られるものではない。エーレンフェストを順位差で黙らせば済むという段階を通り越しているのだ。

「さて。本日この部屋で交わされた会話は全て録音しております。レスティラウトとヴィルフリートがゲヴィンネンを始めたあたりから再生しましょうか。しっかり聞いて下さいね」

:あとがき:

ダンケルと次期様、第二弾です。
「わたくし、ダンケルフェルガーが怖いのです」より前の周回のお話。
匿名希望さんの語りはマイルドでしたが、フェルマイサイドだと容赦ない。楽しいでござる(笑)

嫁取りディッターに勝ってから対処しても既に手遅れな事が発覚してしまいました。
フェルマイと眷属達がネガキャンに注力するようになった直接的な理由です。
そしてヴィル君の永久追放も大決定されました。
原作と有志wiki情報を元に、他者は須らく搾取対象なユルゲン貴族スタンダードで全方向から悪意で染めてみました。
ルーフェンとか嫁取りディッターだーって浮かれて騒ぎそうじゃね?
それをクラッセンとかドレヴァンとかが聞いたら……ね?
マグダがいる王族が知っても……ね?

原作でもおかしいとずっと思ってたんですよ。マインちゃんはヴィルと婚約してたんだから、自動的に嫁盗りディッターになるはずですよね。
それを「嫁取りだから許可したが、嫁盗りだと知っていれば許可しなかった」というのはトチ狂ってるなと。嫁取りならロゼマの意思を確認しろ。
第三夫人まで持てるとは言え、同時に複数の相手とは婚約しないだろ。予約というか内々での取り決めはあるだろうけど。アドルみたいな感じで。
ハン五で王の承認を受ける前でも、アウブが決めた婚約に横槍を入れるのは無礼だと判明しましたし。
レス、めっちゃ汚ぇ卑劣漢で無礼者じゃねぇか。
自分の婚約者を賭けたディッターに辛うじて勝ったのに、スッキリしないからもう一度、とか言うヴィルもゴミ屑ですが。

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